故郷 (岩手県大槌町)

当社の故郷 岩手県大槌町安渡


 弊社は現 取締役会長柳田拓治 が 1964年東京オリンピック関連の工事で1962(昭和37)年5月に 岩手県大槌町より型枠工事と内装工事の依頼を受けて、東京に来た事から始ります。その当時東京に働きにきた、東北地方の主に先代のが 岩手県出身の型枠業者は多いと思います。


日本では前回の 東京オリンピックからー昭和40年不況1965ーいざなき景気1970ー第一次第二次オイルショック1983ー円安景気-円高不況ーバブル景気1986ーバプル崩壊1991ーいざなみ景気ーリーマンショック2009ー円安不況2012など色々な好不況波があり。

 途中2011(平成23年)3月11日に起きた東日本大震災は東北地方の故郷の方は衝撃的な出来事でした。当社取締役会長の実家も津波で流されしまいました。  


地元の方は思い出したくない出来事かもしれません。

全国 地方出身者の方も 全力でサポーとしますので求人のご連絡よろしくお願いします。



 
平成23年5月(2011)撮影(東日本大震災直後)
大槌郷総鎮守 大槌稲荷神社の流された
鳥居の写真です。
 
昭和53年9月9日(1980)
当社 取締役会長柳田拓治 奉納。


googleマップより 
流された鳥居を復旧した状態です。

 


  

令和4年5月8日(2022)

 

東日本大震災津波を語り継ぐ日  令和4年3月11日 

【政策的議員提案条例】
東日本大震災津波を語り継ぐ日条例

 平成23年3月11日に発生した東日本大震災津波により、本県では、かつて経験したことのない被害を受け、突然に多くの大切な人を失った。私たちは、自然災害はいつでもどこでも誰にでも起こりうることを知るとともに、家族や友人、地域、国内外の人たちとの絆や人と人とが支えあうことの大切さを改めて実感した。
 私たちは、東日本大震災津波の発災直後からこれまで、国内外から数多くの支援をいただきながら、復旧・復興に全力を挙げて取り組んできた。
 今後も復興に向けた歩みは続いていくが、二度と同じ悲劇を繰り返さないために、復興が果たされる日が来ても、東日本大震災津波の記憶を風化させることなく、東日本大震災津波を体験していない世代やこれから生まれてくる子どもたちにもあの日の悲しみと教訓を伝承していく必要がある。
 また、東日本大震災津波により亡くなった人々の果たせなかった想いを引き継ぎ、未来のために力を合わせてより良い地域を創造し築いていくことが重要である。
 ここに私たちは、東日本大震災津波により亡くなった多くの尊い命に追悼の意を表し、東日本大震災津波の教訓を伝承するとともに、これまでの復興に向けた歩みの中で得られた多くの絆を大切にし、一人ひとりの大切な人に想いを寄せ、ふるさと岩手を築いていくことを誓い、東日本大震災津波を語り継ぐ日を定める。

(東日本大震災津波を語り継ぐ日)
第1条 東日本大震災津波を語り継ぐ日は、3月11日とする。
(県の取組)
第2条 県は、東日本大震災津波を語り継ぐ日の趣旨を広く普及するとともに、その趣旨に沿った取組を行うよう努めるものとする。
2 県は、前項の取組を行うに当たっては、市町村その他の団体との連携に努めるものとする。
3 県は、市町村その他の団体が行う東日本大震災津波を語り継ぐ日の趣旨に沿った取組に対して、必要な協力を行うよう努めるものとする。
(県民の取組の促進)
第3条 県は、東日本大震災津波を語り継ぐ日の趣旨に沿った県民の自発的な取組の促進に努めるものとする。

附 則

 この条例は、公布の日から施行する

 

岩手県ホームページより

令和4年5月8日(2022)



「鴨長明(方丈記)」の有名な言葉で 

《 ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。世の中にある 人とすみかと、またかくの如し。 》

 この世の全てが流れては消え、消えては生まれながら、「川」は残り続ける、この世にあるひとも住む場所も、同じように無常である、といった意味となります。  現在の変る時代の言葉を表したもので天変地異や乱世を経て辿り着いた「無常観」を表現した一文だそうです。


 この頃この言葉が胸にしみます。川は流れてとどまりません、流れが緩やかで留まっているように見えてる水も、絶えず流れていて同じ水はありません、色々な事に当てはまります。先日聞いたゼネコンさんの講師の方も同じ言葉を言ってました。

令和4年5月30日(2022)